まず大学別でいうと、東大が2名、京大が2名、北大が1名、慶応が1名、そして、海外からの応募者が3名でした。東大の2名は、計数工学科4年、それに経済学研究科修士課程(女性)です。京大の2名は、知能情報学専攻修士課程、物理工学科の学部4年(宇宙基礎工学コース)です。北大の1名は理学部生物科学科です。そして慶応大学の1名は、理工学部物質情報工学科の学部4年生(女性)です。また、海外からの3名はそれぞれ、Carnegie Mellon University の計算機科学修士課程(学部は早稲田大学)、New York University の応用統計学修士課程(学部は早稲田大学、女性)、それに、Yale University の化学専攻の学部4年生(女性)です。
これまで私たちの財団は、海外の大学院でPh. D. 取得を目指す日本人学生に授業料、生活費を支援する奨学事業を行ってきました。何年か前までは日本人学生の内向き志向という表現がよく使われましたが、最近はそういった言葉もあまり耳にしなくなったと感じています。私たちの財団においても、奨学事業の応募者数は年々増加し、昨年は100名を超えました。採択者の比率でいうと、ほぼ10倍程度の倍率となっています。さらに応募してくる学生のレベルも年々向上しているように感じています。100名を超える応募者の中で、圧倒的に多いのは東大からの応募です。毎年ほぼ2/3程度の応募が東大生となっています。東大に次ぐのが、慶大、東工大、東北大、北大などです。なぜか京大、大阪大など、関西からの応募はきわめて少ないです。
そして感じるのが、応募者の殆どは、それぞれの大学でトップクラスの学生であるということです。これは、学部、あるいは、修士時代の成績、指導教員、あるいは、学科長、専攻長などの推薦状からも明らかなことです。こういった傾向はここ数年できわめて顕著になりつつあるように感じています。なぜこういった傾向が出てきつつあるのでしょうか。一言でいえば大学院で学ぶ学生の世界にもグローバル化が浸透してきたということだと思います。2015-2016 THE世界大学ランキングによりますと、東大は43位、京大は88位となっています。純粋に理工系の研究のランキングで見ると、これらの大学はずっと上位に位置付けられるでしょうが、その一方で、世界の優秀な若者がアメリカの大学に集中しているということも事実です。優秀な学生である程、世界のトップ研究大学の大学院で学ぼうという流れが強まることも自然であると思います。ただそうは言っても、アメリカのトップ大学で Ph. D. を取得することが、将来日本の大学でポストを得る際に有利に働くかと言うと、そういったムードは、残念ながら日本の上位大学には全くありません。未だに教員に占める自校出身者の割合が高いのが日本の大学です。それでも意欲ある学生の一部が大学院は海外、中でもアメリカのトップスクールでという傾向は徐々に強まっているように感じています。
私たちの時代でもアメリカの大学院に留学する人たちは一定数いました。私は東大工学部応物の出身ですが、50人程の仲間の内、3人がアメリカでPh. D. を取得しています。ただ現在の大学院留学とはかなり異なります。いま私たちの財団で支援している大学院留学のおよそ1/2は学部4年卒業直後のPh. D. 留学です。残り1/2は大学院修士課程修了に連続してのPh. D. 留学です。でも私たちの時代はそういった留学は私の知る限りありません。皆一度就職してからのPh. D. 留学でした。私の同級生で見てみましょう。今野浩君は、東大の修士課程を修了して電力中研に勤務して、はじめは社費留学の資格でStanford大学のPh. D. コースに入学しました。栗原宏文君は学部卒業後、東燃に就職し、そこから社費留学でMITのPh. D. コースにいって、学位を取得しました。超秀才の野口悠紀雄君に至っては、東大修士で半導体研究をやりながら、経済を独学し、大蔵省にトップ合格して、その後、大蔵省に在籍のまま、Yale大学に留学し、僅か2年間でPh. D. を取得し、また、大蔵省に復職しました。私が知る他の人も同様です。Princeton で学部長になった小林久志さんも東大電気の修士を出て、東芝に就職してからPrinceton留学しましたし、数年前の夏の交流会にお招きした根岸英一さんは、東大修士から帝人に就職し、それからPennsylvania大に留学して、Ph. D. を取得されました。なぜいまの時代のように学部、修士から直接 Ph. D. 留学することがなかったのでしょう。
工学系では修士課程まで進む学生は大勢いましたが、博士課程の進学者はきわめて少ない時代でした。博士課程進学はイコール将来大学の先生、もっと狭く言えば、自分の指導教員の後継者になる確率がかなり高いといった時代でした。学生本人よりも先生が「君はぼくの後継者になれる可能性が高いから、博士課程に進学しませんか」といった感じでした。高度経済成長期に入ったとはいえ、まだ多くの東大生の家庭は経済的に恵まれた時代ではありませんでした。当時は現在に比較すると地方の公立高校からの進学者が大勢いました。そういった友人がよく新宿のわが家に遊びにきました。いつも母親が夕食を出して接待しましたが、その日は妹たちの食事のおかずが何もなくなったということをよく聞かされました。またいまに至るまでよく付き合っている金沢出身の東大医学部卒の友人は、「おばさん、お金を貸してください」といって、数千円のお金をよくぼくの母親に無心していました。それが何倍以上にもなって戻って来たのは、それから数十年後のことでした。それくらいまだ貧しく質素な生活の時代でした。学部、あるいは、修士課程を出ると、ごく一部の大学後継者を除いては、皆、日立、東芝、八幡製鉄、電電公社といった高度成長を支えた日本の大企業に就職していきました。皆、終身雇用で私の同期生で企業間を転職した人は皆無です。こういった時代ですから、学部、修士を出ると同時に将来の見通しのないPh. D. 留学をするという発想はあり得ませんでした。やっと目覚めるのは就職をして、何年か働いて、会社の留学制度に乗って、留学をしてからというのが一般的でした。当時は終身雇用が徹底していましたので、企業も社員の育成ということに力を注ぎ、多くの大企業では、社費留学という制度を一般的にしていました。社費留学の期間は多くは1年、長くて2年が一般的でした。そこで目覚めてPh. D. を目指すという人が時折いたわけです。会社が特例として、留学期間の延長を認める場合もあれば、退職をして、Ph. D. 取得を目指す人もいました。もちろん留学支援をする船井のような財団はありませんでした。話が少し脱線してしまいました。
授業料は高額なのですが、大学院Ph. D. コースに入学した場合、この授業料を私費で払っている学生は殆どいないようです。Ph. D. コースの場合、学生が自活できるような経済的支援を、スカラシップ、TA、あるいは、RA というかたちで大学が面倒をみてくれます。ではなぜ日本からの留学生も多くが日本からの奨学金を欲するのでしょうか。その理由はいくつか考えられます。まず第一に、日本からのスカラシップを持っていた方が合格しやすくなるという事実があるようです。ただしこれは大学により異なります。トップレベルのお金持ちの私立大学では、日本からのスカラシップを持っているかどうかは、合格には全く関係ないと言っているところもあります。その一方で日本からのスカラシップを持っていることが、合格の条件だというトップレベルの州立大学もあります。また第二には、スカラシップを持っていると、研究室の選択、研究テーマの選択の自由度が増すというメリットがあることです。またすでに留学している日本人学生でも、何とかスカラシップが得られないかと努力しているケースも多々あります。指導教員からスカラシップをとるように努力せよと言われる場合もあるでしょうし、研究の自由度を確保するためにスカラシップの獲得に努力する場合もあると思います。指導教員にとっても学生がスカラシップをとってくれると、それだけ研究費からの出費が減ることになりますから、ありがたいわけです。学生の能力を見極めることができるまでの最初の1、2 年を外部からのスカラシップをとって来てくれると、たいへんありがたいとの話をよく聞きます。
大学院 Ph. D. コースでの経済支援に比較して、学部学生への大学からの経済支援は少ないのが一般的です。家庭の経済状況にもよりますが、その分、学部留学の場合には、自己負担の率が高くなります。また、大学院留学を支援する財団は、船井情報科学振興財団の外にも、同じような財団がいくつもあります。文部科学省からの支援もあります。その一方で、学位取得を目的とした学部留学に関しては、文科省からの支援はありませんし、それを支援する財団も殆どありません。これは学部留学という選択肢が最近まではまったく一般的でなかったせいだと思います。学部留学支援に関しては、私の知るところでは、僅かにグルーバンクロフト基金がある程度です。グルーバンクロフト基金は、アメリカへの学部留学を目指す生徒に対して、リベラルアーツカレッジに限定して、毎年10名程度の学生に経済支援をしています。第二次大戦前後の駐日大使の基金によって始められた支援です。
以上のような背景から、今年から私たちの財団では、大学院留学支援の学生数を一部減らして、学部留学支援をはじめて見ることにいたしました。大学院留学支援は現在2年間の支援をしています。Ph. D. 取得までには、5年以上はかかるのが一般的ですが、3年目からは主にはRAによる大学からの経済支援が受けられることを前提にしています。これに対して、学部支援の場合には、4年間の支援をしなければなりません。授業料、寮費、生活費を合わせると、年間70,000ドル程度もかかります。4年間ですと30,000,000円程にもなります。これを全額支援しようとしますと、かりに大学院支援を数名減らしても、それによって、学部支援は1、2名の支援しかできないことになります。そこで次のように考えました。
大学院留学の支援のみにするのがいいか、学部留学の支援もはじめるのがいいか、どちらがいいかは答えはなかなか見つからないと思います。以前ですと、私は留学は日本の大学を卒業してからでいいと考えていました。でもその考えがぐらついて来た事柄があります。いま私たちの財団が支援している大学院学生に日本の高校を出てすぐに留学した学生が2名います。この2名がどちらも私の目からみて素晴らしいのです。それがもともと本人が持っている資質なのか、学部留学の4年間で身に付いたものなのかはよく分かりませんが、私には、後者のように感じられました。一人は筑駒を卒業してYale大に進学した学生、いま一人は札幌の私立北嶺高校からリベラルアーツカレッジのトップ校Wesleyan大に進学した学生です。どちらも現在Harvard大のPh. D. コースにいます。私たちの財団が支援している学生の中では間違いなく最上位に近く評価されます。この2人の学生を見て、人材育成が財団の留学支援の目的ならば、学部留学支援も始めるべきではと考えるようになりました。学部留学支援を将来的に継続するか、あるいは、継続する場合、どの程度の規模で継続するかは、走りながら考えたいと思います。
今年から学部留学支援ははじめて見ようと決心して、同様の事業はグルーバンクロフト基金しかないと考えていました。グルーがリベラルアーツカレッジのみを対象にしているので、私たちの財団は、一般の研究大学を対象にしてもいいと考えていました。ところが今年のある時期になって、ユニクロの柳井正財団がかなり大規模なスケールで学部留学支援をはじめるとの情報が伝わってきました。現在その像が明らかになりつつありますが、柳井正財団は、学生当たり年に70,000ドルの支援をするとのことです。支援人数もかなり多いようです。ただ留学希望者の数は、やや近い将来を見た場合、現在の財団支援の10倍以上はいると思います。したがって、私たちの財団は、私たちの財団でできる規模での支援をすればいいのだと考えています。私たちの財団は大学院支援では、毎年非常に優秀な学生が数多く応募してくれています。選考された学生は、一部イギリスのオックスフォード、ケンブリッジもいますが、多くはアメリカのトップ研究大学のPh. D. コースに合格し学んでいます。学生間の交流も年度を超えてきわめてさかんに行われています。将来的に学部留学支援で選考された生徒、学生もこの輪の中に加わり、とても大きないい刺激を受けるのではないかと考えています。学部留学支援、今年は6月から申請を受け付け、8 月はじめに締め切って、8月中には選考を終えたいと考えています。また、選考委員は、私を除いては、全員がアメリカの大学の学部を卒業し、Ph. D. コースを経験している人としています。この中には先程述べた私たちの財団の支援学生で現在Harvard大学のPh. D. コースで学ぶ2 名の学生も含まれています。
船井情報科学振興財団の海外留学支援事業は、海外大学の大学院でPh. D. を取得することを目的として留学を目指す者に授業料、生活費等と支援する事業です。2009年度にこの事業を始めて、今回で7年目になります。ここ1年になって、支援学生の中にPh. D. を取得する者が次々と出始めています。私たちの財団では支援学生相互の交流に力を入れていて、毎年の交流会にはPh. D. 取得者も参加して交流を深めています。Ph. D. 取得者の中にはアメリカのトップスクールでPh. D. 取得と同時に Assitant Professor になった人もいますし、そのまま海外でベンチャーを立ち上げた人もいます。残念ながらまだ日本に帰国して大学等に就職した人はいません。いずれ出てくると思いますが、学位取得者に対する日本とアメリカでの給与の差なども 1 つの要因かもしれません。
次に選考された者の研究分野を見てみますと以下のようになります。 化学、化学生命工学:5名 材料:2名 経済経営:2名 生物物理:1名 生物情報:1名 機械:1名 公衆衛生:1名 理学部、理学系研究科が4名います。これも従来は工学系の機械工学、電気工学、応用物理工学などが多かったのに、今年はそういった分野からの応募が少なかったです。また、経済経営分野として最近は毎年2名を選考していますが、今年ははじめて、その中に経営を専攻しようとする者が入りました。この人はやや特別な経歴で、北海道の高校卒業後アメリカのトップレベルのリベラルアーツカレッジを卒業し、一橋大学の経営分野で職を得た後に、これからアメリカで経営分野のPh. D. を目指そうとしています。まだ24歳です。また公衆衛生分野と書いた人は、東大農学部獣医を卒業した後に、アメリカのEmory大学修士を首席で修了し、CDC で1年働いた後に、これからアメリカのトップスクールの感染症対策分野でPh. D. を目指そうとしています。今年選考した13名の中で、この2名は選考委員会で最高の評価を得て選考されました。そういえば今年経営分野で選考した学生のように、学部からアメリカに留学している学生からの応募がときどきあります。昨年もそういった学生を選考しました。この学生はもう財団のホームページに公開されていますが、筑波大附属駒高校を卒業して、Yale大学に留学し、そこを卒業した時点でわれわれの財団に応募してきて採択され、現在はハーバード大学のPh. D. コースで生命科学を専攻しています。私が知る他の例では、山口の宇部高校を出て留学し、Yale大学の化学分野をPh. D. を取得したきわめて魅力的な女性もいます。東大、京大が必ずしも大学ランキングで世界最高に位置付けられていない現在、優秀な高校生の中には、学部から留学を目指す者が急速に増えてくるのではという感じがしています。これは危惧すべきことなのか、歓迎すべきことなのかは、一概に評価はできません。高校出てすぐの留学はうまくいけば素晴らしいけれど、その一方で年齢が若い分多少のリスクもあるような気もしています。私が年寄りだからそう思うのかもしれません。
船井情報科学振興財団の海外留学支援事業は、海外大学の大学院でPh. D. を取得を目的として留学することを目指す者に授業料、生活費等を支援する事業です。2009年度にこの事業を始めて、今回で6年目になります。例年と同じ7月に募集を開始し、10月中旬に締め切りました。その後、書類選考を経て、2014年11月8日に面接選考を行いました。
今回は選考人数を15名としたのを機に、これまでの分野に加えて、生命科学分野を入れました。また今回だけの試みかもしれませんが、「技術を背景として、ベンチャー企業の立ち上げ、発展、経営に強い関心を持ち、それを実現するためにMBA等の専門職学位を目指して留学する者」を2名程度選考することにしました。これはPh. D. というどちらかというと研究者志向の者への支援だけでなく、より企業経営志向の人材育成に貢献しようという考えによるものです。財団出資者の船井電機創業者である船井哲良氏には、「40歳で5つの会社の社長になる」との著書がありますが、そういった人材育成の支援ができないかということがその背景です。
応募は10 月17 日(金)に締め切りました。事務局で整理し、98名分の応募書類を選考委員に郵送しました。選考委員は財団ホームページに公表されています。われわれの選考委員会の特徴は、6名の選考委員の内、3名がアメリカの大学でPh. D. を取得して間もない30歳代の若い選考委員であることです。現時点で3名とも東大、東工大の准教授をされています。選考委員には前以て、応募書類をていねいに読んでいただいた上で、今回は11月1日(土)に書類選考会議を開催しました。前以て各応募書類に点数付けをお願いするようなことはしていません。1件1件の応募書類を順に見ていき、意見交換をしながら書類選考合格とするかを検討していきます。1巡目で合格、不合格を決めるものが多いですが、とりあえずペンディングにしておくものもかなりの数あります。何を基準にして選考するかということは必ずしも決めていません。一言でいうならば、書類を見て、この人は抜きん出て優秀である、この人はとても魅力がある、評価書(推薦状)が素晴らしいといった候補者が書類選考合格になる確率が大きいといえます。その一方で、すでに留学中のきわめて優秀な方からの応募でしたが、これくらい優秀な人であれば、われわれが支援しなくても、留学先大学からの経済支援が間違いなく得られるであろうという理由で、選考しなかったような例もあります。また、ある選考委員がこの人はこういった視点からきわめて魅力的であるということを主張されるとその意見が尊重されることもあります。面接選考ができる人数は最大30人程度というのが書類選考で残す人数の目安です。そして、今回は27名を書類選考合格とし、面接をすることにしました。上に書いた選考の基準はPh. D.コースへの応募者の場合で、今回のMBA応募者の場合は多少異なります。
Ph. D. コースへの応募者はほぼ全員が、学部卒業、あるいは、修士修了を控えていますが、MBA応募者の場合は、殆どの方が企業で仕事をされている方でした。今回MBA応募者は98名の内、8名でした。私たちの財団は技術系の財団であり、MBAに関しても、応募資格の中に「技術を背景として・・・」と書きました。今回の選考におきましたも、この点は考慮させていただきました。科学技術系のバックグラウンドを持っていることです。
書類選考後、合格者には直ちに面接選考の案内をしました。27名の内2名はすでにアメリカの大学に留学中で、その人たちにはスカイプ面接の案内をしました。面接選考は11月8日(土)午前10時から開催しました。1人10分程度の短い時間です。面接終了は午後4時近くになっていました。それから2時間程をかけて、お1人、お1人順に合格とすべきかどうかを議論していきました。1巡目で合格とする人も中にはいましたが、何巡もして少しずつ決まっていくというプロセスです。15名の予定でしたが、今回は特に魅力ある優秀な人が多く最終的にPh. D. 留学希望者15名、MBA留学希望者2名の合計17名を選考しました。