第二回FOS交流会
2014年8月1日から4日にかけて、第二回FOS交流会をワシントンD. C. で開催した。私たちの財団では、奨学生相互の交流にも力を注いでいる。奨学生同士が互いに交流を深めることが、彼等にとって将来のきわめて大きな財産になると考えているからである。この奨学事業を始めてからまだ5年程度しか経っていないが、毎年一度夏の時期に交流会をやることを昨年から始めた。昨年の第一回目は2013年8月1日から3日までニューヨークで開催した。そのときは、ゲストとしてノーベル化学賞を受賞されたPurdue大学の根岸英一教授にご参加いただいた。
昨年は中1日しかなく、とても慌ただしかったので、今年は中2日と交流会の期間を1日延長した。現在財団がスカラシップ支援をしている学生は30数名いるが、今回はこの内の23名が参加した。大雑把には、アメリカ西海岸、東海岸、イギリスからの学生がほぼ1/3ずつである。今年の9月から留学予定の学生が10名いるが、8月の時点ですでにサマースクール等で留学をしている学生もいる。そういった学生も参加した。今年はゲストとしては、CMUの金出武雄教授にお願いした。金出教授は京都大学のご出身で、坂井、長尾研で助教授までされた後、CMUに教授として移られ、ロボット工学、コンピュータービジョンの分野で顕著な業績をあげられ、国際的に活躍をされている方である。昨年の根岸教授と同じく、金出教授にも、交流会の全期間を通して参加いただいた。学生たちに講演もいただいたが、それ以外のプログラム、期間中の3回の夕食会等すべての場で、学生ひとりひとりと交流を図っていただいた。
著名な大教授と直接にお付き合いいただき、学生たちは大きな刺激を受けたはずである。
交流会は8月1日の夕食会からはじまった。今回の滞在ホテルはワシントンの中心街で、ホワイトハウスまでも徒歩10分程度のJW Marriott Washington D. C.だった。1日の夕方までに参加者全員がチェックインを済ませた。顔合わせ夕食会はホテルの地下1階のAvenue Grillであった。続く2日の午前中には金出教授の講演があった。その講演の内容は、学生がたいへん丁寧にまとめてくれた。(http://www.funaifoundation.jp/report/koryukai2014_kanade_report.pdf)
午後の第1部では、参加者の中から選ばれた4人が1人当たり20分程度の発表をした。これは研究に関するものがあったり、留学生活に関するものがあったり、あるいは、仕事に関するものがあった。第2部では、学生たちが4つの班に分かれて、それぞれの班でテーマを決め、議論をしてテーマに関する結論をまとめるようなことをしていた。このまとめも財団ホームページに掲載されている。そして夕方からは近くのイタリアンレストランToscaで遅くまで夕食、会話を楽しんだ。この食事会には、慶応からCaltech Ph. D. に留学中の大野真之君、東大を卒業してEmory大学に留学し今年公衆衛生学修士を修了して、現在は米国国防省の疾病対策センタ—に勤務している塩田佳代子さんが飛び入り参加をした。2人ともFOS奨学生以上に元気な人だった。翌3日は午後4時まではワシントン市内見学の時間で、学生たちはいくつかのグループに分かれて、それぞれ興味のある博物館の見学等に出かけた。
8月3日午後4時からは、上野隆司/久能祐子さんのご自宅に招待されて、学生たち全員で出かけた。上野隆司/久能祐子さんは新薬の開発で大成功をおさめられた人である。上野さんは慶応大学医学部出身の医学博士、薬学博士であり、久能さんは京都大学大学院応用化学専攻で工学博士を取得されている。お2人とも科学技術振興機構のプロジェクトに関わる第一線の研究者であったが、あるときから創薬の発明家に転じられた。そしてアメリカに居を移され、開発した新薬を武器にナスダック上場を果たされた。上野氏は、朝日新聞社から「世界で3000億円を売り上げた日本人発明家のイノベーション戦略」という書名の単行本も出されている。現在はワシントンの高級住宅地ジョージタウンに大邸宅を保有されている。朝日新聞のGlobeにも紹介されていたが、ご自宅Evermayは歴史的建造物であり、手入れされた庭の広さが東京ドーム程もある。まさにアメリカンドリームを実現された希少の日本人である。Evermayは日常的にさまざまな交流の場ともなっている。
上野さんにお目にかかって、最初に「1年前にニューヨークでお話しましたね」と言われたのにはたいへんびっくりした。1年前の交流会の8月2日の夕食は、ハドソン川のディナークルーズを楽しんだ。同じ船上に和服姿の一行がいた。ニューヨークになんで和服と興味を持って話しかけた。表千家の一行で京都からの参加者もいた。表千家の有力メンバーが何人もいた。その中に上野さんがいたというのだ。上野さんは、表千家米国東部支部の支部長を務めているとのことだ。われわれのグループには根岸英一さんもいたこと等から、興味を持って憶えてくれていたのかもしれない。それにしてもこんな偶然があるものかと驚いた。邸宅には100人規模のパーティができそうな部屋がいくつもあった。われわれもその部屋の1つで上野/久能さんと1時間以上も質疑をかわした。部屋の中央窓側に置かれているすごく鼻の長いコンサート用のグランドピアノがとても小さく見えた。わが家にも居間いっぱいを占めるグランドピアノがある。横幅が広く奥行きが短く感じるが、横幅は上野/久能邸のものと同じはずだ。
上野さんの桁違いをもう一つ。上野さんは小さいときから車が大好きだったという。子供の頃はミニチュアカーを収集していたそうだ。現在本物の68台の車を保有しているといっていた。この内ポルシェとフェラーリが18台だという。こう書くといかにも車道楽のようだが、そうではなくて、中古の車を手に入れて、組み立て直したりいじり回すのが趣味だという。もちろん修理工場があるそうだ。ときどき近所のレース場を借り切って、何台かのポルシェ、フェラーリを持参して走らすのが楽しみなのだそうだ。
このような経歴の上野さんはバリバリのビジネスマン、実業家といった感じかというとまったくそうではないのが不思議だった。ゆったりのんびりした感じのどちらかというと研究者タイプの人だった。久能さんの方が実業家という感じがした。お2人はまたS&R Foundationという財団を設立され、若い音楽家、薬学研究者への支援などをされている。因みにS&RはSachiko and Ryujiの頭文字をとったものだと推測する。
私たちの財団の支援学生はPh. D. 取得を目指す学生たちだが、将来の希望を聞くと、必ずしも研究者志向の学生が多くはない。むしろ将来はベンチャー企業を立ち上げたいという学生が多い。そういった学生たちにとって今回の訪問は非常に大きな刺激になったに違いない。
今回上野/久能氏をご紹介いただいたのは、ワシントン在住の弁護士であり、日米学生会議の米国側の代表世話役をされている篠宮有輝氏である。この場を借りて厚く感謝の意を表したい。まだお若い篠宮氏ご自身は、グルーバンクロフト基金の奨学生として、日本の高校を出てすぐにアメリカのリベラルアーツカレッジの留学し、その後もずっと米国に居を構えている方である。
上野、久能氏について、いくつかの紹介記事のURLを下記に記載しておくので、ご覧になっていただければと思う。
http://www.knak.jp/ta-sangyou/pharma/SucampoPharmaceuticals.htm
http://globe.asahi.com/breakthrough/2013111400002.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Evermay
上野/久能邸訪問のあと、夕食は市内の Kushi という串焼き屋であった。一応日本食のレストランだったが、店内はうるさくまた料理もいまいちで最終の夕食会にしては、ややもの足りない感じだった。昨年ニューヨークでのディナークルーズが素晴らしかっただけに余計にそれを感じた。
4日の朝は各自ホテルで朝食を済ませ、その後は自由解散となった。交流会は来年も開催する予定である。場所はまだ未定だが、アメリカが2回続いたので、パリでなんていう噂もある。今年よりも多い学生が参加してくるに違いない。
今回の交流会の企画に関しては、Georgia Institute of Technologyの中村拓磨君、University of Southern Californiaの長野光希君が中心になって働いてくれた。両君の働きに心から謝意を表したい
2014年8月1日から4日にかけて、第二回FOS交流会をワシントンD. C. で開催した。私たちの財団では、奨学生相互の交流にも力を注いでいる。奨学生同士が互いに交流を深めることが、彼等にとって将来のきわめて大きな財産になると考えているからである。この奨学事業を始めてからまだ5年程度しか経っていないが、毎年一度夏の時期に交流会をやることを昨年から始めた。昨年の第一回目は2013年8月1日から3日までニューヨークで開催した。そのときは、ゲストとしてノーベル化学賞を受賞されたPurdue大学の根岸英一教授にご参加いただいた。
昨年は中1日しかなく、とても慌ただしかったので、今年は中2日と交流会の期間を1日延長した。現在財団がスカラシップ支援をしている学生は30数名いるが、今回はこの内の23名が参加した。大雑把には、アメリカ西海岸、東海岸、イギリスからの学生がほぼ1/3ずつである。今年の9月から留学予定の学生が10名いるが、8月の時点ですでにサマースクール等で留学をしている学生もいる。そういった学生も参加した。今年はゲストとしては、CMUの金出武雄教授にお願いした。金出教授は京都大学のご出身で、坂井、長尾研で助教授までされた後、CMUに教授として移られ、ロボット工学、コンピュータービジョンの分野で顕著な業績をあげられ、国際的に活躍をされている方である。昨年の根岸教授と同じく、金出教授にも、交流会の全期間を通して参加いただいた。学生たちに講演もいただいたが、それ以外のプログラム、期間中の3回の夕食会等すべての場で、学生ひとりひとりと交流を図っていただいた。
著名な大教授と直接にお付き合いいただき、学生たちは大きな刺激を受けたはずである。
交流会は8月1日の夕食会からはじまった。今回の滞在ホテルはワシントンの中心街で、ホワイトハウスまでも徒歩10分程度のJW Marriott Washington D. C.だった。1日の夕方までに参加者全員がチェックインを済ませた。顔合わせ夕食会はホテルの地下1階のAvenue Grillであった。続く2日の午前中には金出教授の講演があった。その講演の内容は、学生がたいへん丁寧にまとめてくれた。(http://www.funaifoundation.jp/report/koryukai2014_kanade_report.pdf)
午後の第1部では、参加者の中から選ばれた4人が1人当たり20分程度の発表をした。これは研究に関するものがあったり、留学生活に関するものがあったり、あるいは、仕事に関するものがあった。第2部では、学生たちが4つの班に分かれて、それぞれの班でテーマを決め、議論をしてテーマに関する結論をまとめるようなことをしていた。このまとめも財団ホームページに掲載されている。そして夕方からは近くのイタリアンレストランToscaで遅くまで夕食、会話を楽しんだ。この食事会には、慶応からCaltech Ph. D. に留学中の大野真之君、東大を卒業してEmory大学に留学し今年公衆衛生学修士を修了して、現在は米国国防省の疾病対策センタ—に勤務している塩田佳代子さんが飛び入り参加をした。2人ともFOS奨学生以上に元気な人だった。翌3日は午後4時まではワシントン市内見学の時間で、学生たちはいくつかのグループに分かれて、それぞれ興味のある博物館の見学等に出かけた。
8月3日午後4時からは、上野隆司/久能祐子さんのご自宅に招待されて、学生たち全員で出かけた。上野隆司/久能祐子さんは新薬の開発で大成功をおさめられた人である。上野さんは慶応大学医学部出身の医学博士、薬学博士であり、久能さんは京都大学大学院応用化学専攻で工学博士を取得されている。お2人とも科学技術振興機構のプロジェクトに関わる第一線の研究者であったが、あるときから創薬の発明家に転じられた。そしてアメリカに居を移され、開発した新薬を武器にナスダック上場を果たされた。上野氏は、朝日新聞社から「世界で3000億円を売り上げた日本人発明家のイノベーション戦略」という書名の単行本も出されている。現在はワシントンの高級住宅地ジョージタウンに大邸宅を保有されている。朝日新聞のGlobeにも紹介されていたが、ご自宅Evermayは歴史的建造物であり、手入れされた庭の広さが東京ドーム程もある。まさにアメリカンドリームを実現された希少の日本人である。Evermayは日常的にさまざまな交流の場ともなっている。
上野さんにお目にかかって、最初に「1年前にニューヨークでお話しましたね」と言われたのにはたいへんびっくりした。1年前の交流会の8月2日の夕食は、ハドソン川のディナークルーズを楽しんだ。同じ船上に和服姿の一行がいた。ニューヨークになんで和服と興味を持って話しかけた。表千家の一行で京都からの参加者もいた。表千家の有力メンバーが何人もいた。その中に上野さんがいたというのだ。上野さんは、表千家米国東部支部の支部長を務めているとのことだ。われわれのグループには根岸英一さんもいたこと等から、興味を持って憶えてくれていたのかもしれない。それにしてもこんな偶然があるものかと驚いた。邸宅には100人規模のパーティができそうな部屋がいくつもあった。われわれもその部屋の1つで上野/久能さんと1時間以上も質疑をかわした。部屋の中央窓側に置かれているすごく鼻の長いコンサート用のグランドピアノがとても小さく見えた。わが家にも居間いっぱいを占めるグランドピアノがある。横幅が広く奥行きが短く感じるが、横幅は上野/久能邸のものと同じはずだ。
上野さんの桁違いをもう一つ。上野さんは小さいときから車が大好きだったという。子供の頃はミニチュアカーを収集していたそうだ。現在本物の68台の車を保有しているといっていた。この内ポルシェとフェラーリが18台だという。こう書くといかにも車道楽のようだが、そうではなくて、中古の車を手に入れて、組み立て直したりいじり回すのが趣味だという。もちろん修理工場があるそうだ。ときどき近所のレース場を借り切って、何台かのポルシェ、フェラーリを持参して走らすのが楽しみなのだそうだ。
このような経歴の上野さんはバリバリのビジネスマン、実業家といった感じかというとまったくそうではないのが不思議だった。ゆったりのんびりした感じのどちらかというと研究者タイプの人だった。久能さんの方が実業家という感じがした。お2人はまたS&R Foundationという財団を設立され、若い音楽家、薬学研究者への支援などをされている。因みにS&RはSachiko and Ryujiの頭文字をとったものだと推測する。
私たちの財団の支援学生はPh. D. 取得を目指す学生たちだが、将来の希望を聞くと、必ずしも研究者志向の学生が多くはない。むしろ将来はベンチャー企業を立ち上げたいという学生が多い。そういった学生たちにとって今回の訪問は非常に大きな刺激になったに違いない。
今回上野/久能氏をご紹介いただいたのは、ワシントン在住の弁護士であり、日米学生会議の米国側の代表世話役をされている篠宮有輝氏である。この場を借りて厚く感謝の意を表したい。まだお若い篠宮氏ご自身は、グルーバンクロフト基金の奨学生として、日本の高校を出てすぐにアメリカのリベラルアーツカレッジの留学し、その後もずっと米国に居を構えている方である。
上野、久能氏について、いくつかの紹介記事のURLを下記に記載しておくので、ご覧になっていただければと思う。
http://www.knak.jp/ta-sangyou/pharma/SucampoPharmaceuticals.htm
http://globe.asahi.com/breakthrough/2013111400002.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Evermay
上野/久能邸訪問のあと、夕食は市内の Kushi という串焼き屋であった。一応日本食のレストランだったが、店内はうるさくまた料理もいまいちで最終の夕食会にしては、ややもの足りない感じだった。昨年ニューヨークでのディナークルーズが素晴らしかっただけに余計にそれを感じた。
4日の朝は各自ホテルで朝食を済ませ、その後は自由解散となった。交流会は来年も開催する予定である。場所はまだ未定だが、アメリカが2回続いたので、パリでなんていう噂もある。今年よりも多い学生が参加してくるに違いない。
今回の交流会の企画に関しては、Georgia Institute of Technologyの中村拓磨君、University of Southern Californiaの長野光希君が中心になって働いてくれた。両君の働きに心から謝意を表したい
0